大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和26年(ソ)2号 決定

本件抗告は抗告人を被申立人とし本件抗告の相手方を申立人とする愛知中村簡易裁判所昭和二十五年(ノ)第一七号妨害物件撤去請求民事特別調停事件に於て同裁判所が昭和二十六年四月九日為したる戦時民事特別法第十四条、第十八条、金銭債務臨時調停法第七条の規定に基く決定に対する被申立人(抗告人)の抗告であつて、其の理由の要旨は昭和二十五年七月抗告人は二村高尾より名古屋市港区港本町一丁目三番地所在南北の間口六間、東西の奥行十六間なる九十六坪の土地に対する借地権を善意に譲受けたのであるが、其の借地の西北隅に二村高尾の所有に係る木造トタン葺バラツク建(堀立小屋)平屋一棟があり二村高尾は之を昭和二十二年十月より相手方に賃貸してあり抗告人は右建物の敷地共二村高尾より土地の借地権を譲受けたのであるから、抗告人の実際の土地使用権は現在の処借地九十六坪の内より右建物の敷地を除きたる部分に対して存して居り、此の部分の借地権は何等故障制限の無い完全な借地権として譲受けたものである。而して相手方が賃借中の借家は目下明渡交渉中であるから明渡次第抗告人に於て買受けるという話はあつた。抗告人が右借地権を譲受けた後昭和二十五年九月中旬に至り相手方は突如として借家の南側抗告人の借地内に巾約一間長さ約二間の約二坪の庇を差出し物置築造に着手し無断で不法に抗告人の借地権を侵害して土地を不法に占有するの所為に出でたので抗告人は相手方に警告を与えたのであるが、既に其の以前より抗告人は該借地の東地続の宅地電車通りに面して家屋を有し「パチンコ」営業をして居り、且本件借地権譲受と同時に右「パチンコ」家屋と相手方借家との中間借地権譲受地上に弟の住宅建築に取掛つて居たが、道路面との間に何等建物なく開放してあつて無用心であつたから、外部から本件借地内への不法侵入を防ぐ為及び前記の如き相手方の本件借地の不法使用を防ぐ為の以上二つの目的を以て相手方の物置築造工事を中止させ、北側の地境並に西側道路沿いに板塀を構設したのである。元来二村高尾は本件宅地上の自己の家屋が戦災によつて焼失した跡に昭和二十年八月頃七、八坪のバラツク住宅を建てたが、家族が八人で狭いので子供の寝所にする心算で堀立バラツク四坪半を住宅の西側に建てて使用中であつたが、偶々相手方が右バラツク四坪半を是非貸して欲しいと申込み家が無くて困つて居ると訴えるので二村高尾は同情して貸すことにしたが、其の賃貸条件は左の如きものであつた。即ち、(イ)相手方の差当つての事情に同情して一時臨時的に貸すのであるから期限は定めず、何時でも家主の明渡要求があつたときは立退くこと、(ロ)右バラツク四坪半は附属物で独立住宅家屋ではなく、又何時之が撤去取毀をするかも知れないのであつて便所、水道、瓦斯の設備はしてなく、又将来賃借人は之等の設備を取付けないこと、水道、便所は家主のもの又は隣家のものを用いること、(ハ)貸家の周囲の土地を使用又は利用してはならないこと、然るに二村高尾も子供等の成長により自己の居宅は狭くて困つて来たので、予ての前記賃貸条件に基き昭和二十四年七月頃より相手方に対し度々口頭を以て右バラツク四坪半の明渡を要求したが、相手方は容易に之に応ぜず剩え前記賃貸条件に違反して右借家南側に無断で露天便所を設けて借地権の侵害をしたのである。相手方が原簡易裁判所に為した調停申立の趣旨は抗告人は相手方居住家屋の北側及南側に設置した高板塀を撤去するようにとの調停を仰ぐと謂うに在つた。之に対し抗告人は相手方は不法に抗告人の借地権を侵害して無断で庇物置を築造し露天便所を設けたものであり、之等は家屋賃貸条件に違反して居るから相手方は之等を撤去するように、又高板塀は借地権に基く構設物であり、北側板塀は相手方の営業妨害にはならないと主張したのであつた。原裁判所における調停不成立の為原裁判所は右事案に付き、(一)本件宅地内建坪四坪半の家屋に付き相手方は其の賃借権に基き其の建物敷地を含めた間口(南北)三間半、奥行(東西)二間半、計八坪七合五勺の土地を使用する権利あることを抗告人に於て認めること、(二)抗告人は前項記載の土地の範囲内に於て抗告人が設置した右家屋の北側高板塀約二間及南側高板塀約二間を直に撤去し、且相手方が右家屋を明渡す迄抗告人は相手方の居住並に軽飲食店営業を妨害する施設一切を設けないこと、(三)抗告人は相手方に対し前記高板塀を設け相手方に蒙らしめた損害賠償として直に金二万円を支払うこと、と決定を以て調停に代る裁判をしたのである。右決定の主文第一項は新規なる土地使用権を創設するものであるが前叙の如く抗告人は右バラツク建坪四坪半の敷地を除く他の土地に付ては何等の制限を受けざる完全なる借地権の譲渡を受けたのであり、相手方は右家屋の敷地以外には何等使用権を有しなかつたのに拘らず、抗告人の借地権を不法に侵害して前記庇物置を築造し、土地の不法使用を開始したのであるから、原決定がかゝる不法使用範囲に付き裁判により使用権を創設することは借地権侵害行為を認めることを内容とするに帰し、法律乃至公序良俗に違反するものと謂うべきである。又原決定は家屋の賃借権に基き土地の使用権を認めると謂うも、抗告人は家主ではなく家屋の賃貸借は相手方と二村高尾間のものであり、抗告人が斯る第三者間の家屋賃貸借に基き義務を負うべき筋合でなく、財産権の侵害は憲法第二十九条の許さざるところである。而己ならず相手方も其の調停申立に於て斯る土地使用権は請求して居なかつたところであつて、又請求の拡張もして居ないのであるから、原決定主文第一項は裁判の行過ぎであつて却つて争を滋くする種を蒔いたものと謂うべく、元来争を納めることを内容とすべき調停に代る裁判の本旨に反するものである(以上抗告理由第一の(イ))。原決定主文第一項は当事者雙方の利益を衡平に考慮に入れて居ない、築港方面は宅地不足で市民は困つて居る場所柄であるから、抗告人の借地の使用方法も十分に考慮に入れ利益の衡平を判断しなければならない。抗告人の借地九十六坪は間口六間であるのに相手方の堀立バラツクの為に間口三間半の土地使用権を許すとすれば、抗告人は間口二間半の使用しか出来ぬことになり、土地の利用価値は半減を免れず原決定は衡平を欠くものである(以上抗告理由第一の(ロ))。原決定主文第二項、第三項及原決定の理由によれば抗告人は家屋北側に高板塀を設置し相手方店舗の望見を遮断して軽飲食店営業に少なからぬ支障妨害を為し多大の財産上損害を与えたとなし、其の損害賠償として直に金二万円を支払うことを決定したのであるが、相手方の店舗に対する電車通りよりの公衆の望見は偶々同借家の北側隣家前庭が一部空地となり居る為に望見の余地があつたので望見遮断物がなかつたと云う偶然の一時的状態であつたに過ぎない。此偶然なる一時的状態が直に相手方に望見遮断物構築を拒否せしむる権利とか其の構築を禁止する権利とかを獲得せしむるものではない、又かゝる偶然の状態の持続を既得権として主張し得るものでもない。特に市街地に於ては隣地同志の建物の都合等で望見可能不可能が起るが、之は全く其の時其の場所の偶然の状態に過ぎぬものであつて、之を妨害と結び付けることは出来ぬ。本件の場合に於て望見の出来て居たことは何等相手方の権利となつて居ないのである。権利無き所に権利の侵害も妨害もなく、従つて妨害に基く損害賠償は成立しないのである。殊に望見の店舗の窓は硝子窓であるが別に出入口でも販売窓でもなく、又通路面でもなく唯飲食品を置いてある場所に過ぎないので、板塀を設けたことは何等営業妨害とはならないのである。現に本件抗告状提出の時に於ては右借家北隣の家屋所有者が同一道路面に接して板塀を構築したから相手方の店舗望見は敢て抗告人の板塀による望見遮断を俟たずに遮断されるに至つて居る。最も新な状態が偶然生じたに過ぎないもので、之亦営業妨害にならぬのである。之を要するに原決定は抗告人に法律上損害賠償の義務なきに拘らず又相手方は損害賠償を請求したのでもないのに拘らず、其の責任ありと決定したのは理由なきものである。又原決定は抗告人は板塀を設けて相手方に精神上の損害を与えたと為し、抗告人に其の賠償責任ありとして居るが、相手方は隣人の意見によるも又平素の行動より見るも本件争の挑発者であり闘争心強く抗告人を圧して居り、本件の場合相手方の精神的損害はあり得ない(以上抗告理由第二)。相手方は二村高尾との間の家屋賃貸借条項として便所設置をしないこととなつて居て、長らく二村方で借便所をして居た。其の内に無断で南空地に露天便所を造つたが、之は契約違反であつて斯る不法な土地侵害による施設は既得権となるものではない。寧ろ相手方は之を撤去すべき義務がある。相手方は二村高尾より温情的に恩恵的に家屋を貸して貰つた時の当初の感謝的精神状態に立帰つて謙譲的に考え、抗告人に対し便所設置に多くの場所を要求せず、借家の北側空地に便所を移転するに於ては抗告人も考慮するのであり、又実際調停に於て抗告人は之を提案したのであるが相手方は承服しなかつた。右は相手方の要求が度を越して居ると謂うべきであるのに原決定は斯る事情を織込んで居ない(以上抗告理由第三)。之を要するに調停に代る裁判は当事者雙方を納得せしめ、争を将来に断つものでなければならぬものであるに、原決定は前記の如く法律上及実情上不当のものであるから之を取消し、更に相当なる裁判あらんことを求むる為抗告に及ぶと謂うに在る。

仍て按ずるに当審に於て尋問した証人二村高尾の証言によれば、同証人が抗告人に借地権を譲渡した本件宅地は九十六坪であつて、其の宅地内西北隅に便所の設備さえない建坪四坪半の家屋があつて、此の家屋は西側本道路及北側通路に面した場所に在り、同証人の所有物で相手方に賃貸して居たものであるが、右宅地内の同証人の母屋は既に取払除去してあるのであるから、相手方現に居住するところの前記建坪四坪半の家屋の存在する点を除けば抗告人は利用価値十分な借地権を譲受けて居ることが認められる。住家の賃借人は其の家屋に居住する為の最少必要限度に於て該住宅に接着する狭少なる土地を使用することは普通に認められて然るべきものであるから、相手方が建坪四坪半なる家屋の南側に庇を取付けて物置場所にしようとしたことや数歩を出でざる場所に露天便所を設けたことは住むことの最少必要限度であるから、抗告人が之を目して抗告人の借地の不法使用なりとして或は外部からの侵入の無用心を防ぐ為なりとして、前記家屋に殆ど密着する程に其の南側、東側、北側に高板塀を設けて前記便所へ出ることを遮断し、店舗の北面を遮閉した結果になつたことは稍厳に失したものと謂わざるを得ない。即ち原決定主文第一項が建物敷地を含めて間口三間半、奥行二間半、計八坪七合五勺の範囲に於て相手方に使用権あることを抗告人をして認めしめたのは抗告人の借地九十六坪の十分の一に充たざるものであり、一切の事情を克く斟酌し当事者雙方の利益を衡平に考慮した結果であつて、又斯様に最少限度の使用権を認めしめることによつて将来の紛争を防止したのである。又相手方は民事特別調停の申立書に於て其の請求の趣旨に或る範囲の土地使用権を認められ度き旨を記載して居ないが、調停に於ては民事訴訟に於ける如く請求の趣旨の記載の厳格を要するものではない。相手方は高板塀を以て囲まれた苦痛に堪え兼ね高板塀を撤去するように調停を求むと記載したが、之は寧ろ申立の記載が不十分なのであつて調停委員会は争の客体及根本を洞察して一切の事情を斟酌して、将来再び争を生じないように当事者を導き、又斯る処置を講ずべきものであり、調停不成立の場合に於て裁判所が調停に代る裁判を為す場合も亦同様であるから原決定が衡平な処置として高板塀撤去の外に再び紛争を生ぜざらしむるよう最少限度の土地使用の範囲を定めたことは裁判の行過ぎではない。殊に原決定が家屋賃借権に基き前記の如き土地使用の権利ありとしたのは相手方が家を借りて居る間換言すれば相手方が家屋明渡をする迄の間の土地使用を認めたに過ぎないのであるから、抗告人の謂うが如き財産権の侵害という程のものではない。

以上の如く原決定は相手方の不法な借地権侵害行為を認容した裁判でもなく、抗告人の財産権を侵害したのでもなく裁判の行過ぎでもなく争を益々滋くしたものでもなく、又雙方の利益を衡平に考慮しなかつたものでもないから、抗告理由第一の(イ)(ロ)は理由がない。次に相手方は調停の申立書に於て損害賠償を求むる旨の記載をして居ないが、原決定によれば幾度か調停委員会を開いて居る間に相手方は高板塀を撤去して貰える迄の物質的、精神的の損害賠償を求めるに至つたことは明かであり、殊に抗告人が相手方住家の店舗北側通路に面する部分に接着して高板塀を設けたことは抗告人の権利の維持に必要であると謂う事情は発見出来ないのに反し、相手方の受ける打撃苦痛の事情は顕著である。又露天便所に付ては相手方が住家から数歩内の空地に便所を設け、之を使用することは抗告人に対しどれだけの不便を与えるか理解し難きに反し、相手方にとつては之が使用は居住の必須条件であるから抗告人が住家の南側に設けた高板塀によつて相手方は便所への往復を封鎖された結果になつた状態は其の儘存置することは衡平でない。以上の如く相手方は物質的、精神的損害を受けた事情は存するのであり、又相手方は之が賠償を求めたものであり、殊に便所の使用は已むを得ざるものであるから此等の点に付き原決定が主文第二、三項の如く調停に代る裁判をしたのは洵に衡平適切であつて抗告理由第二、第三は何れも理由がない。

仍て本件抗告を棄却すべく戦時民事特別法第十八条、金銭債務臨時調停法第九条、非訟事件手続法第二十五条に則り主文の如く決定する。

(裁判官 県宏 松本重美 榊原正毅)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!